会社の規模や売上よりも伝えたいこと
私たちは、自動車メーカーからの発注を受け主にエンジンのパーツを製造を行っていました。"いました"という表現の通り2年前にメーカーの製造ライン減少の煽りを受け、それまで得ていた仕事が激減し事実上の廃業寸前まで追い込まれました。ただ、電気自動車の波が押し寄せてくる中、遅かれ早かれその時は来たと思います。
創業35年、社員数85名。父の代から働いてくれている社員もいます。生産数が減っていく中、会社を整理するか否か悩みました。しかし、不必要なものを減らしていこうと努力してくれる社員たちの姿を見ると、不甲斐ない、と自分に矢印を向ける日々でした。なんとか、会社を継続していくために銀行へ相談したものの90%以上の売り上げを占めるメーカーとの取引が無くなるということで、借入の相談は頓挫しました。そんな時でした、テレビで自分たちと同じような環境にある会社が、試行錯誤しながらキャンプ用品を作りはじめたというニュースを観ました。
勇気づけられました。風前の灯であることは確かだが、炎はまだ消えていない。次の日、全社員を集め伝えました。「知恵を貸してください」と。会議室は、静まり帰っていました。その沈黙を破ったのは、製造部を引っ張る副長でした。
「社長、5日間だけ時間をくれませんか。私たち製造部のみんなで、今の技術を使って何ができるかを考えてみます」
次の日から、日中は僅かに残った受注品の製造を行い、17時を過ぎると製造部のメンバー全員が会議室に集まり遅くまで話し合いを行っていました。途中、私も参加しようと、ドアノブに手をかけたこともありました。しかし、思いとどまりました。長年、製造部門を担当してくれた彼らは自社の誇り。彼等の英知を信じてみようと思ったからです。
5日後、製造部を代表して副長のプレゼンテーションがはじまりました。
「まず、この5日間で私たちが行ったことは、自分たちの強みを再確認することでした。私たちは、長年、エンジンのパーツ、中でも燃料の圧縮系パーツを製造してきました。その知識こそが私たちの持つ強みです。もう一つ、私たちが生み出すパーツは、これまで99.997%の精度を誇ります。この2つを組み合わせて何が生み出せるのか。製造部のメンバー45名で、アイデアをぶつけ合いました。出した答えは、エスプレッソマシンの製造です」
正直、副長の話を聞き驚きました。考えてもいなかった提案でしたから、思わず製造部のメンバーの顔を見てしまいました。5日間、睡眠時間を削って、毎日、皆で議論を交わしていた彼等は、本来は疲れているはずなのに生気に溢れた顔をしていました。その時、彼等の本気度を感じました。自分たちがこれまで磨き上げてきた技術、得た知識を活かせるものは何か、彼等が議論を重ねて出した答えであるならば、そこに疑問や質問は必要ありませんでした。
「私たちは、これまで受け身の企業でした。どんなに優れた技術を持っていたとしても、発注側の必要な範囲でしか活かされていませんでした。もう、そこから卒業しましょう。まずは、店舗向けのエスプレッソマシンを製造し信頼度を高め、その技術を家庭用のエスプレッソマシンへと転換していきます。お客様は、全世界のコーヒー愛好者です。ビジネスのフィールドも広がります。下請けとして使っていた金型は、もう使えません。それが、下請けから脱客しメーカーへと変わる時だと教えてくれています」
会議室に集まった社員全員が同じ考えでした。そこからは、私と3人の経営陣の仕事です。借入金額は? 売却できる資産は? 開発費と人件費の捻出に集中しました。およそ一週間で、再スタートへの計画を立てました。開発期間は一年とし、その間の給与は、年齢・役職関係なく一律とし、その事を全社員が集まる朝礼で発表することにしました。正直、家族を養っている社員にとって事実上の減給はのめない話であり、反対意見は覚悟していました。ところが、発表後に手があがり質問されたのは意外な事でした。
「社長、発表された一律の給与について…、社長も経営陣の3人も同一ということであれば納得です。ただ、私は家族を養う上で必要な額があります。足りない分は、バイトを認めていただけますか? いただけるのであれば、2年後、3年後、みんなで笑えることを信じてこの会社で頑張りたいです」
頷くもの、同意見です、と声をあげる者、みんなが自己犠牲を払いこの会社を支えてくれていると感じた瞬間でした。それは、私以上に開発を担当する社員たちは身の引き締まる想いだったのではないかと。翌日から、開発部門の部屋から聞こえてくる声は、それまで以上に気合の入ったものでした。
1901年、ミラノのベゼラ(Luigi Bezzera)氏が蒸気圧を利用した業務用機械の特許を初めて取得してから120年が経過し、マシンは電子化による自動化が急速に進みました。全自動となりボタンひとつでエスプレッソが抽出できます。全社会議から1年を要し、私たちが初めて生み出したエスプレッソマシンBEZERA Iは、エスプレッソマシンの生みの親であるベゼラ氏から名付けました。全自動でありながら、豆の状態と湿度をセンサーが感知する上、バリスタの手による抽出具合の微調整をも可能にしたBEZERA Iは、製造部の英知を集約した傑作です。
(フィクション)